自分は基本的にはベーシック・インカムは現状よりマシという意味で賛成の立場です。
ベーシック・インカムの原資に相続税(税率100%)を使うというアイデアも悪くないと思います。
��自分の場合は相続税を100%にするといっても、贈与税を0%にすることが前提ですが)
ただ、本を読んでいて、小飼弾とは共有している前提、というか世界観が異なる気がしました。
自分は働かないことは悪いことだとは思っていません。
小飼弾は、冒頭で人間は誰も働いていない、生産していない、コメを作ってるのはイネで、人間は収奪しているだけだと言ってます。
なんか言葉遊びみたいですが、自分としてはじゃあその「収奪」とか加工こそが働くってことなんじゃないかと思います。
人間が品種改良した家畜や農作物なんて勝手には育たないし、野生の植物にしたって、漁業にしたって少なくとも収穫という作業は必要なわけです。
口を開けて寝てれば、勝手に口の中に食べ物が飛び込んでくるのだったら、働いていないと言えるかもしれないですけど。
働くって言葉の定義が違うだけで、お互い同じようなことを言っている気もしますが、小飼弾は根底では働かないことは悪いと思っていて、でも本当は皆働いていないんだから働かないことは悪いことではないんだという屁理屈をこねることになってしまったんじゃないかと思います。
でも、自分は働かないことは悪いことだとは思っていません。
そのかわり、飢えるべからずとも思っていないし、生きるべからずとも思っていません。
働かずに食えるんだったらそれで問題ないし、働かない結果飢えて死んでしまっても問題ないと思っています。
仔細に渡って考え方を確立させているわけではないのですが、生きる権利(他者から自己の意思に反して生命を奪われない)はあっても生存が(政府によって)保障されるわけではない、という感じでしょうか。
自己責任論に近いかもしれませんが、生きる力のない人間が死ぬことを防ぐ義務は無いと思います。
但し、あくまでこれは原則的な考え方です。
生きる力のない人間であっても死ぬべきでないと考える人々、あるいは生きる力の有無なんて人知の図り知れぬところで、全ての人間は死ぬべきでないと考える人々が自らの意思で死んでしまいそうな人達を助けようとすることを否定するものではありません。
むしろ対象が子供であれば、自分も積極的に助けたいと思うでしょう。
逆説的ですが、人々からそうした援助が受けられる人間というのは自分の定義では生きる力のある人です。
どうも本の内容からだいぶ離れてしまいましたが、ベーシック・インカムに限らず、いろいろ自らの考えを深めるきっかけとして有意義な本だったと思います。
と無理やりまとめて終わりにしますw
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