全然両立できるはずです。そもそも明治時代に戸籍制度が始まったときは夫婦別姓でしたしね。夫婦同姓のはじまり派戸籍制度導入から27年後、欧州のカトリック的価値観の民法制度を参考に改められました。 https://t.co/Acn9WTcZXa
— ばしこ (@harukindex) February 14, 2025
議論の過程で新たな知識や洞察が得られたので、自分なりの理解をここで示します。
まずは歴史から。
歴史
江戸時代、一般に,農民・町民には苗字=氏の使用は許されず。(法務省、我が国における氏の制度の変遷)1876年(明治9年)3月17日太政官指令 妻の氏は「所生ノ氏」(=実家の氏)を用いることとされる(夫婦別氏制)
1898年(明治31年)民法(旧法)成立。夫婦は、家を同じくすることにより、同じ氏を称することとされる(夫婦同氏制)。
※ 旧民法は「家」の制度を導入し、夫婦の氏について直接規定を置くのではなく、夫婦ともに「家」の氏を称することを通じて同氏になるという考え方を採用した。(法務省、我が国における氏の制度の変遷)
※上記指令にもかかわらず,妻が夫の氏を称することが慣習化していったといわれる。(法務省、我が国における氏の制度の変遷)
※ 旧民法は「家」の制度を導入し、夫婦の氏について直接規定を置くのではなく、夫婦ともに「家」の氏を称することを通じて同氏になるという考え方を採用した。(法務省、我が国における氏の制度の変遷)
当初の私の理解
歴史に対する指摘
ここからはそれぞれの主張やそれに対する反論を往年の◯◯派に分けて記載します。
明治5年に戸籍法が施行され、明治9年の太政官指令により、夫婦別氏制が採用された。
その後、明治31年民法(旧法)成立により夫婦同氏制となった。
したがって、明治9年~明治31年の間は夫婦別氏制の下、戸籍が運用されていた。
・近世中期以降、実際には大部分の庶民が私的には苗字を名乗っていた(@32ohoQKRTpnUPAe氏 東北大学名誉教授 大藤修『日本人の姓・名前・苗字』2012年、190p)
・「ほとんどの国民(中山みき、伊藤梅子、下田歌子、徳川天璋院等々)が生活実態に即して夫婦同苗字を当然視したことは大量の一次資料があり、明治民法の夫婦同苗字規定も穏当妥当な立法だったことに学問的に争い無し。」(@32ohoQKRTpnUPAe氏)
選択的夫婦別姓賛成派
・夫婦同姓は不平等条約の改正のためにドイツ法(夫婦同姓)/フランス法(夫婦同姓)を採用した(ので、夫婦同姓は日本の伝統というより欧州から輸入されたいわば「造られた」伝統であった)
※人によって、場合によっては同じ人でも時期によって仏独の違いあり……)
・当時のフランス法は氏名不変原則による原則夫婦別姓だった(@32ohoQKRTpnUPAe氏)
したがって、ドイツ由来説・フランス由来説はいずれも誤りである。
・フランスでは法制度上は、フランス革命期(※)以来、氏の不変原則が貫かれていたが、慣習では妻に夫の氏を名乗らせていた(石井智弥 フランス民法における氏の位置づけ 茨城大学人文学部紀要社会科学論集 №62 2016. 9)
※フランス革命は1789年~1795年
・ドイツ、オーストリア、スイスなどゲルマン系の国は長らく夫婦同姓を義務づけていた。
(日本経済新聞 選択的夫婦別姓は世界の大勢 違憲判決でドイツも決断)※ドイツの民法制定は1896年(明治29年)で前述の反論の反証にはなりえず。
選択的夫婦別姓反対派
偉い人はこうしろと言いましたであって、こうしましたじゃないんだよね。(@code_dia氏)
・夫婦別氏の戸籍(妻に戸主とは別の氏が記載されている)を出さない限り夫婦別姓があったとは認めない派(戸籍原理主義)(多数派)・愛媛県史 民俗 下(昭和59年3月31日発行)によると、夫婦別氏制の太政官指令の翌年である明治10年8月「婦女ハ他家二嫁スルモ、終身実家ノ苗字ヲ記スベシ」と愛媛県の「戸籍加除心得」にある(@suzumiya_na_gi氏)
「愛媛県ではこの規定を旧民法施行まで執行したといわれる」と上記資料に記されているが、
・2025年1月現在、夫婦別姓の戸籍(戸籍に実際に戸主とは別の氏が妻に記載されている)は発見されていない。(@w4f75x7MJ9I2gdb氏、@Bo_San_2D氏等)補足
それでも明治31年の民法成立までの12年間ほどは本来は閲覧可能な戸籍があるはず。
私の所感
これまでの歴史に関する議論を経て思ったことです。
明治5年に戸籍法が施行され、明治9年の太政官指令により、夫婦別氏制が採用された。
その後、明治31年民法(旧法)成立により夫婦同氏制となった。
したがって、明治9年~明治31年の間は夫婦別氏制の下、戸籍が運用されていた。
と当初は思っていたわけですが、当時は今ほどきっちり制度運用されていたわけではなかっったのでしょうね。
明治9年に太政官指令で夫婦別姓を打ち出す、のは明治政府の失策だったのでしょう。
当時の支配階級の武家の伝統をそのまま打ち出したものの、庶民の伝統とは相いれず、翌年には夫婦同姓にする方向で民法の草案が作られたりしているわけです。
当時のフランスも法制上は夫婦別氏だったものの慣習としては夫婦同氏であり、偶然にも日本と似ていますね。
なんの歴史の専門家でもない私がこれ以上、変に歴史に口を出しても恥の上塗りをするだけなのでこれ以上は慎みます。
いずれにせよ、法制度としては、明治時代の一時期(100年以上前の20年ほど)に夫婦別氏制の下、戸籍が運用されていた、ということでしょう。
ただ、実態の運用がどうしたものであったかは専門家で関心のある人が不在のためなのか不詳であり、法制度と関係なく庶民の伝統は夫婦同姓だった、ということなのかと思います。
賛成派・反対派それぞれが歴史を持ち出して自身の正統性を主張するのは不毛と感じました。
真に検討すべき課題は現代において選択的夫婦別姓を導入すべきかどうかに結論を出すことであって、賛成派・反対派それぞれがお互い賛否の目的や理由を聞き、お互いが納得できる妥協点を探ることにあります。
選択的夫婦別姓反対派(少なくとも私のPostに反応いただいた方々)は戸籍に強いこだわりを持つ方が多い一方、私の選択的夫婦別姓に賛成したい目的は現実の不便・不利益を解消したいことです。
そのため、反対派が「戸籍の破壊」と感じること(例:戸籍に別氏を記載する)が行われないような形で選択的夫婦別姓制度を導入するのが良いですね。
どんな政治的決定もそうであるように万人の賛成は不可能にしても、反対派からしたら事実婚の拡大・通称使用の拡大と捉えられる範囲のもので、賛成派からしたら選択的夫婦別姓の導入と捉えられるようなちょうど良い塩梅の制度設計の検討を望みたいです。
30年前からやっておけ、という気はしますが。
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